ペットの死(ペットロス)を迎えて思うこと

2021年12月9日AM2:00頃、飼い猫の「もんす」が旅立ちました。享年6歳(推定)でした。

死因は断定できませんが、おそらく血栓塞栓だったと思います。同年12月1日頃から少し様子がおかしくなり(自分で上手に動けない、少し歩くと苦しそうに口呼吸するなど)、その夜発作的に20秒程度の痙攣をおこしました。

12月2日には病院に連れていき、細かく症状を伝えたのですが水分補給の点滴のみで投薬などの処置はありませんでした。

ただしその後一旦調子がよくなり少し動きにくそうではあるものの、自分で餌を食べ水を飲みトイレにも行けるようになりました。

取り越し苦労だったのかなと思い少し安心していたのですが、12月8日の朝になるとまた少しおかしい様子でした。この日は外出する予定があり夕方頃帰って来ると明らかにおかしな様子でしたが、病院も休みで先日のこともあるので明日連れていこうと思っていたら日付をまたいで夜には死んでしまいました。

ペットを亡くしてまず思うことは、たくさんの後悔でした。

「もっと早く気づいていれば…」、「違う病院で見てもらえばよかった…」(その時の動物病院の判断には半信半疑であったので)、「もっと遊んであげればよかった」、「もっと甘えさせてやれば」、とにかく挙げればたくさんあります。

生きている間は死んでしまうということを想定していないので、このような結果になると後悔と自責の念でいっぱいになってしまいます。

生と死は表裏一体であらゆる生命はこの死からは逃れる事はできません。一日生きたということは、一日死が近づいたということなのですから。

人も含め全ての生物の死後の世界についてはわかりません。ただ一つ確実に言えることは生きている側は必ず立ち直らなければいけません。すぐに立ち直ることはできないと思います。人も動物もなにか目的がありこの世に生を受けそして死んでいくというようなことを聞いたことがあります。

「もんす」も何か意味があり私達のところで引き取られ、一緒に過ごし死んでいったのかもしれません。

これからは「もんす」と出会えたことに感謝しながらその意味を考え、時とともに笑って過ごせる日がくればいいなと思っています。

踊り場から外を眺めるのが好きでした
「もんす」と娘その1
「もんす」と娘その2
「もんす」と娘その3
「もんす」とその妻「ねこ」
「もんす」とその息子「ごめ」
「もんす」とロシアンブルーの「ムゥちゃん」
全員集合