子供からの愛は無償で無限

今年に入ってから私(父親)と娘(今年2月に3歳になったばかり)の二人きりで、丸一日過ごすことが多くなりました。

3歳のお誕生日

私の仕事環境上ふだんから娘と二人きりで接する機会は多いのですが、それでも丸一日を二人きりで過ごすことはまれでした。

娘も先月3歳になったばかりなので目を離すわけにもいかず、ほぼ付きっきりです。半日であるとか、丸一日であっても私一人ではなく妻と二人であればそれほどでもないのですが、完全に二人きりで丸一日となるとさすがに疲れます。

それが続くと少しいやらしく接してしまったり、怒ったり、辛く当たったりとポロポロとボロが出てしまいます。が、あとになって「言い過ぎたかも・・・」とか「さっきは構ってあげるべきだったかも・・・」などと反省と自己嫌悪に見舞われます。

よく親は子供に対しては無償の愛を注げるとか聞きますが、必ずしもそうでもないように思います。その時の親の感情、気分、疲れなど様々な要因で本当はこう接してあげるのがよいのはわかっているのに、そのように出来ないことは多々あるのではないでしょうか。結果場当たり的に愛を注いでいるつもりになっているような気がします。

つい先日のことですが、その日は[父と娘二人きり生活も四日目]で遊ぶこともやり尽くしたうえ、蓄積された疲労感と頭痛で娘には少し辛く当たっていたと感じていました。午後からは車に乗せるとよく寝るので、お昼寝と外の空気を吸ってリフレッシュも兼ねて海岸までドライブに連れていきました。

案の定車に乗せるとすぐに寝たので、海岸について目が覚めるまで待っていると1時間ほどで起きました。

特に遊ぶものもないただの海岸なので子供にとってはさほど面白いものでもないと思いますが、私と一緒に散歩しているだけで、嬉しそうに走ったり話しかけて来たりします。

私はそのとき嬉しそうな娘の姿をみて、突然胸がいっぱいになりました。と同時に得も言われぬ幸福感も感じました。

家に帰ってから、あの時のあの感情は何だったのだろうと考えてみましたが、おそらく娘の親に対する愛情に心を打たれたのではないかと思いました。

私自身その日の午前中は娘に対して辛く当たっていた自覚があった。さらに言えば娘も同じく数日間、私と二人きりで少なからずストレスを感じていたはず。にもかかわらず、一緒に砂浜を散歩しているだけでこんなにも愛情を注いでくれる。そんな娘からの無償の愛情にきっと感銘を受けたのだと思います。

椅子と娘

お父さん、お母さんと一緒に遊びたい、新しく出来るようになったことをみてもらいたい、いい子で頑張ったことを褒めてもらいたい・・・など、子供が両親に向ける愛情は無償で無限なのだと感じます。

だからこそそういった子供達の気持ちを逆手にとったような、事件は本当に心が痛みます。